津軽こけし館TOP 津軽のこけし工人 伝統を引き継ぐ津軽の工人

こけし館の伝統と歴史

~伝統を引き継ぐ津軽の工人~【現役工人】

 

阿保 金光(昭和27年~現在) 温湯系

"兄の描く顔はやさしい。私のは愛嬌がある。"

※平成6年取材時

3年前にこけし工人になったばかりで、「津軽こけし工人会」の中で一番の新米です。
もともとは大工だったのですが、足にケガをしてしまいまして。兄(阿保六知秀)が、それならこけし作りの手伝いに来ないかと言ってくれたのが、31か2の頃ですから遅いスタートです。
最初は、本当に手伝いのつもりだったんですけど、気がついたら兄にしっかり教え込まれていました。初めの頃はずいぶん変なものも作ったりしましたが、自然に兄の型になってきましたね。
ただ顔は意識して変えています。兄の描くこけしは目が細くてやさしい顔立ち、私のはちょっと愛嬌があるかな。

これからも兄弟2人、助け合ってこけし作りに励みたいと思っています。

 

 

阿保 六知秀(昭和25年~現在) 温湯系

"こけしは私の分身「がんばれよ」と送り出します"

※平成6年取材時

地元の東英中学校3年の時、善二師匠が指導していた「こけしクラブ」に入ったんです。
卒業と同時に弟子になりました。15人いたクラブ員のうち、こけしの道へ進んだのは私1人。早くに父親を亡くした私にとって、師匠は父親的な存在でもありました。16、7の少年の悩みを受け止めてくれて、持つべき心持ちも教わりましたね。
よく言われたのは、「普段の生活がちゃんとしないと、いいこけしはできないよ」それは今もなお肝に銘じています。

こけしに込められた人間性や温かさを、感じてもらえればいいなあとおもいます。私にとってこけしは分身のようなもので、発送する時、つい「がんばれよ」と言ってしまいます。

   
 

 

 

今 晃(昭和28年~現在) 大鰐系

"自然のままの素朴な表情を描き続けたい"

※平成6年取材時

秋田の大館の生まれです。高校を出て大湯温泉のこけし工房に就職したのが、この世界に入ったきっかけです。
伝統こけしに興味があったわけでもなかったんだけど、そのうちに欲が出て、もっと腕を磨きたくなってしまったんです。それで大鰐で長谷川辰雄先生の世話になり、鳴子でも修行しました。
あんまりたくさんは作らないことにしてます。同じものを作っていると飽きてくるし、惰性で仕事したくないから。その代わり種類はたくさん。一つ一つが全部違う。その方が辛いですよ。昔のこけしそのままの自然で素朴な表情がすきだなあ。でたらめに描いてるように見えるけど、そうじゃないんですよ。 納得のいくいいこけしを少しでいいから残したい、そんな気持ちで作っています。

 

笹森 淳一(昭和29年~現在) 温湯系

"斎藤幸兵衛に創作玩具にいろいろチャレンジしたい"

※平成6年取材時

昨年、東京の長泉院附属「現代彫刻美術館」で2ヶ月間「津軽の木地仏展、笹森淳一の世界」という個展を開くことができました。
父親が宮大工だったせいか、本当は仏像の彫刻をする仏師にあこがれていたのです。その想いをこけしで表現したいと思い、弥勒菩薩のイメージをこけしの姿に託してみました。会場が美術館だったので、こけしマニアの方だけでなく、一般の美術愛好者の方にも見ていただくことができて、良かったです。
今、不遇の生涯だったという斎藤幸兵衛のこけしに、 興味を覚えています。
創作玩具にも魅力を感じていますし、いつもいろんなものにチャレンジしていきたいと思っています。

 

嶋津 誠一(昭和5年~現在) 大鰐系

"木地師の仕事は道具が基本。今でも自分で作ります"

※平成6年取材時

父の代には大鰐に木地挽きが8軒もあったんです。今は、うちと間宮さんの所だけでになってしまった。嶋津の家は、もともと温湯で藩政時代から焼いた木地師でした。私の父彦三郎が大鰐の田中重吉に弟子入りしたことから、この地に縁ができたのです。私は19ぐらいから父に仕込まれました。こけしについては要のところしか教えてくれなかったけど、道具の作り方はしっかり教わりましたね。木地師の仕事は道具が基本だと。私は今でもふいごを使って焼きを入れて、自分で道具を作ります。
面白いもので、仕事が仕事を教えてくれるんですよ。こけしも数多くやってこそ、だんだんわかってくるんじゃないかと思いますね。

 

長谷川 健三(昭和17年~現在) 大鰐系

"「素朴とヘタは違う」と言った父を目標に"

※平成6年取材時

父親の長谷川辰雄は、大正の末あたりからこけしの描彩をしていたようです。私は製材所に勤めていたのですが、父の後継者になるはずだった従兄が亡くなって、跡を継ぐことになったんです。
現在は、弘前市の「津軽藩ねぶた村」で、毎日実演しながらやっています。「故郷を思い出す」「郷愁を誘う」というお客様の言葉を聞くと、うれしいですね。そういうものを意識していますから。
顔を描く時は、何となく娘の顔を思い浮かべています。幼稚園ぐらいの頃の幼い顔を。
目標はやっぱり父親でしょうね。「素朴とヘタは違う」という父の言葉には、まだかなわないですよ。

 

本間 直子(昭和36年~現在) 温湯系

"子供が制作のエネルギーになってます"

※平成6年取材時

高校を卒業する時職人になりたいと思い、縁があったのがこけしの世界でした。佐藤善二師匠の最後の弟子です。師匠から教わった数々の言葉を日記に残してありますが、私の宝物です。「直子、結局最後に勝つのは、真心だよ」という言葉は今も忘れられません。
始めてろくろの前に座った時、緊張のあまり高熱を出したのも、この世界に若い女の子が入ったと珍しがられたのも、思い出の一コマです。
当時は、女でもやればできるんだと思っていたのですが、周りの方たちにまもられてやってこれたと、今になってわかります。
現在二児の母ですが、子供が制作のエネルギーになっているような気がします。
こけし作りは生涯続けていきたいと思っています。

 

盛 美津雄(昭和30年~現在) 温湯系

"型だけでなく祖父の丁寧な仕事を守り継ぎたい"

※平成6年取材時

こけしの道を行こうと決めたのは22歳の時です。祖父は、私には何も言いませんでしたが、「頼りないけど、身内がやることになったのは良かった」と言ってたそうです。盛秀太郎の孫、というプレッシャーは確かにあります。ことに祖父の後継者だった叔父の奥瀬鉄則が亡くなってからは、盛秀こけしを継承するのが私1人になってしまいましたから。
祖父の仕事は、とにかく丁寧でした。その念入りな仕上げは、絶対に守っていこうと思っています。私の役目は、この盛秀型を次の世代に引き継ぐことですから。こけし作りを楽しむところまでは、なかなかいきませんね。
もっと素直に、大胆になれればと思っているのですけれど。





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